CLゼミとは
CLゼミは大学受験を通じて「Crazy Leaerning」の技法を指導するオンライン私塾です。「Crazy Learning」を修得することで、大学受験後も自ら学び続け、「Crazy Learners」として生きていく力を身に付けることを目的としています。主にインターネットを利用して指導するため、世界のどこにいても学ぶことができます。
CLゼミの指導方針
「Crazy Learning」はその名の通り「クレイジー」な側面があります。たとえば、CLゼミにおいては、これまでの受験塾や予備校の常識では考えにくい成績の上昇が可能です。偏差値30台から有名大学に合格するという「驚くべき成功ストーリー」も、CLゼミ的な視点では、ごく普通にありえることです。
ただし、「ありえること」と「それができること」はまったく違う話です。CLゼミでは「毎日8時間とか12時間くらい全力で努力(自学自習)するのは普通だよね」という考え方があります。時には「15時間くらいやってもいいよね」という話になります。そういうことは「おかしい」と思いますか。
でも、学校を卒業すれば「毎日8時間とか12時間くらい全力で働く」のは普通ではないでしょうか。このご時世ですから、15時間働いている人だって少なくないはずです。なぜ勉強や受験においてはそれが「おかしい」と感じられるのでしょうか。
何事かを成し遂げるような人は、須らく、時間なんて気にかけずに「朝から晩まで働いたり学んだりしている」でしょう。もし、地道な努力をせずに何かを成し遂げられるのなら、私たちも真似をしたいものです。でも、卓越した才能を持っているように思える人でも、その人生を丹念に辿れば、その才能を花開かせた努力の跡を見い出すことができます。だとすれば、成功への近道はないと考えたほうがよさそうです。
その一方で、地道な努力を重ねて、自分の立てた目標に近づき、達成した例は無数に見つかります。そうした「地道な努力」のことを考えると、「そんな大変なことはしたくない」「自分にはできない」と考える人もいるようです。でも、さまざまな「Crazy Learners」の例を見てみると、激しい努力を重ねている当人たちにとって、その努力は「苦役」ではなく「楽しみ」に近いように見えます。天才に見える人ほど、努力を「喜び」や「生きがい」のように感じていたように思えます。
ところで「朝から晩まで熱中したこと」のひとつやふたつは、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。その時に味わった情動は、私たちに生きる喜びを思い出させてくれる、かけがえのない熱源でしょう。そして、私たちの知る限り「Crazy Learners」は例外なく、情熱を抱けるものを自ら手繰り寄せ、それに没頭することによって、何かを成し遂げています。
「Crazy Learning」の技法は、そうした「熱中するものと出会う技術(物事に熱中しはじめる技術)」と「それに没頭し続ける技術」の二つを柱としています。CLゼミの指導方針は、そうした技法に受験勉強を通じて長けることで、結果として、受験結果においても最高の成果を残す、というものです。
「朝から晩まで受験勉強に熱中する」ことができれば、常識では考えられないスピードで学力を高めることができます。言うまでもないことのように思えますが、しかし、現実には、多くの受験生はそれができません。なぜでしょう。そこには、その原因となっている障害が必ずあります。CLゼミではその原因と向き合い、障害を一つずつ潰しながら「Crazy Learning」に習熟することで、受験勉強に「朝から晩まで熱中」できるようになることを目指します。
CLゼミがこれまでの受験教育と異なる点はいくつもありますが、その本質を挙げれば、これまでの受験教育のほとんどが「学習者が与えられたものをこなす」という受動的なスタイルを前提にしているのに対して、CLゼミが人の能動性を重んじている点です。過去の受験教育には「受験生は自ら努力することはできない」という無思慮な偏見が忍び込んでいます。それは言語化されないにせよ、多くの人が暗黙のメッセージとして感じ取ってきたのではないでしょうか。
そのような考え方が間違っているわけではありません。実際、多くの受験生は自ら努力することができません。そうした前提で物事を進めた方が、先生や保護者が生徒を管理しやすく、また、生徒が楽なのも事実です。両者の暗黙の合意によって、受動的な学習スタイルはこの国の常識として定着しています。しかし、CLゼミではそうした学習スタイルとは対極の、人間の「能動性」を前提とした指導を行います。
能動的に道を切り拓こうとした若者は、いつの時代にでもいました。これまで、そうした若者は社会の「はみ出し者」のように扱われ、時には虐げられてきました。ごく一部の成功者が「変人」とか「クレイジー」と呼ばれながら賞賛されてきたに過ぎません。しかし、時代の変化によって、安定の上に胡座をかいていることが難しくなり、変化に対応する力としての「能動性」を自覚的に鍛えることが死活的に重要になりつつあります。
「Crazy Learning」を身につけるまでにかかる時間は人によって違います。でも、それを身につけなければ、いつまで経っても受験勉強に「朝から晩まで熱中する」ことは難しい。いや、受験勉強なんて「朝から晩まで熱中する」必要はないのかもしれません。でも、受験勉強が「能動性」を鍛える機会になるのなら、それは若者にとって素晴らしいチャンスとなるのではないでしょうか。なぜなら、何事かを成し遂げるためには「能動性」を発揮して「朝から晩まで熱中する」ことが欠かせないのですから。
「Crazy Learning」を習得するまでにかかる時間の違いは、現時点での学力や偏差値よりも、これまでどのような学び方、生き方をしてきたかによります。そして、煎じ詰めれば、それがうまくいくかどうかは他人に判断できるものではなく、「自ら能動的に努力したいし、してみせる」という決意を本人が固めるかどうかにかかっています。学力や偏差値という「結果」は、そうした決意の後で、地道な努力のプロセスに応じて自然とついてくるものなのです。
世界を変えるような物事を成し遂げる人の多くは、決意を固めて、どんな険しい道でも自らの手で切り拓いていきます。しかし、どれだけ決意を固めた若者であっても、たとえ受験は乗り越えられても、その後にやってくる荒波の前に脆くも崩れ去ってしまうことがあります。屍が見えないだけで、そうした事例は数えきれないほど起こっています。私たちは、一見してそうと分かるわけではないけれど、そうした危険と隣合わせの世界に生きています。だからこそ、私たちは、覚悟を持った若者たちの能力と可能性を、受験を通して、さらに引き出したいと考えています。
CLゼミの指導がどれくらいのものであるのか。私たちは、その点に関しては、まだ研究途上であり、いたって未熟であると言うことしかできません。それでも、現時点で私たちができることを必要としている若者は少なからずいると感じています。もちろん、それは私たちの考え方であって、それに賛成するか否かは、自分自身の頭と心で判断してください。間違っていたとしても、誰かが自分の人生の代役を務めてくれるわけではありません。
自分の人生に対して責任をとってくれる人はいません。その事実をまっすぐに引き受けた上で、何が正しく、何が間違っているかの判断を、頭と心をフルに使いながら、いつでも自分の責任で行い続け、その結果としての成功や失敗を自ら引き受ける。そうした経験を重ねることによってのみ人は成熟していく、と私たちは考えています。
最も危険なのは、怖気づくことによって、何も選択せず、何も責任を取ろうとしないことです。どんなに逃げ回っていても、自分の人生から逃げることはできません。この世界から逃げることもできません。戦わなければ生き延びていくことはできない、それほどまでに厳しい世界に私たちは生きているのです。
この世界は不条理で、生きるにはあまり大変なところだけれども、それでも十分に生きたいと願う気持ちを捨てることはできない。「理想と現実」の狭間で揺れ動きながら、それでも諦めず理想へと一歩踏み出そうとする、そんな大志を抱く若者の一助となるべく、私たちは指導を行っていきます。