理想と現実のギャップに若者は押しつぶされる。それが現実だ。でも、だからってこうした状況を嘆いても仕方ない。

一人ひとりが自分の身の回りで地道な行動を起こしていく以外に、この社会を変える道はないのだと僕は思う。だから、今すぐに上手くいかないとしても、自分なりのやり方で、すこしずつ、よりよく働けるようにしていきたい。そうした理想を思い描きながら学び続け、努力を重ねれば、すこしずつ実現できるのだと思う。
『学欲』 楽しく働くことを諦めない

Crazy Learners とは

何かを成し遂げるためには学び続けることが欠かせません。だから、何かを成し遂げた人の生涯に目を凝らしてみれば、学ぶことと生きることが深く結びついている様子が見えてくるでしょう。それを「教育」や「勉強」といった言葉で切り取ることはできません。学ぶことと生きることが結びついている様子は、その人の生涯を通じた「生き方」として現れているからです。

そのような「生き方」を日本語の中に探しても適当な言葉は見当たりません。おそらくは、そうした生き方が日本の歴史の中で俎上に載せられてこなかったからでしょう。だから私たちは外来語を借りて「Crazy Learners」という言葉を作りました。学ぶことと生きることを結びつけ、想像を絶する学習を継続することによって何かを成し遂げる一生を送った人たち。「クレイジー」という言葉には、そうした先人たちへの敬意も込められています。

しかし私たちは、一方で、そのような生き方を本当に「クレイジー」と呼ぶべきかについての疑いを抱いてもいます。

むしろ、そうした生き方を「クレイジー」と考えている方が、人類史的な視点から眺めたときには「おかしい」のではないか。回っているのは天空ではなく大地なのだと喝破した中世の天文学者が異端審問で裁かれたように、彼らが「クレイジー」に見えるのは、時代の一歩先を行く物の見方をしているからに過ぎないのではないか。それを、このように言い換えることもできるでしょう。彼らの生き方は「クレイジー」なのではなく、視点を変えてみれば、人の生き方のひとつの理想形に見えてくるのではないだろうか、と。

「クレイジー」と呼ばれる人の中には、己の直感を信じ、猛烈な独学によって時代を何歩も先駆けるビジョンを掴みとり、その実現へと骨身を、時には命すらも惜しまなかった人々がいます。ささやかな仮説から実際に世界を変えた彼らは、私たちのロールモデルです。いつの日にか、彼らに「クレイジー」などという形容詞を付さなくて済む時代が訪れることを信じて、私たちは「学ぶことと生きることが深く結びついた生き方」についての研究と教育を行っていきます。

私たち「Crazy Learners」は、この活動を通して、これまで「クレイジー」と思われてきた生き方や物の見方が、水を飲むように、あるいは、子どもが「読み書き算盤」を身につけるように、誰もが当たり前に得られるようになることを目指しています。


現在の活動概要

1. Crazy Learners 研究会

「学ぶことと生きることが深く結びついた生き方」についての研究会です。

2. CLゼミ

大学受験を通じて「Crazy Learning」に習熟する、チーム制のオンラインゼミです。大学受験生が対象です。